食物連鎖からみた地球環境問題
地球上で生きていく上では“食物連鎖”はじめ何らかの必要な循環があるのではないかと思います。なぜならば、地球は物質的には閉じた系になっていると言うのが一般的な見識かと思います。
“食物連鎖”に関して見ると、生産→消費→分解→生産 のような基本サイクルがあり、また、そのサイクルには「植物遺体の主成分であるセルロースやリグニンが分解されていく過程=腐食連鎖(デトライタス・サイクル)」と一般的に認識されている「生きている植物を食べることから始まる食物連鎖=生食連鎖(グレイジング・サイクル)」に大別されるそうです。
その視点でみると、人(特に現代人)は その連鎖から離れている、寧ろその連鎖の流れを止めているように感じます。そう感じるのは特に“腐食連鎖”の部分で特に感じるのです。今は土に帰らせないわけです。(土葬 - Wikipedia によると土葬は条例で禁止されているが法律上は火葬も土葬も平等に扱われているとのようです)骨(大半はカルシウムでしょうか)が、散骨されて土に返るくらいで、その他は焼かれ窒素や炭素は酸化物になり、また熱になって大気に放熱されるわけです。気体になった酸化物がまたその連鎖の輪に戻るには時間がかかるのかと思うのですが?
つまり その循環を止めている・阻害していることが 広義にはエネルギーと言う“環境問題”として意識され始めた問題の根源的な原因の一つではないのかなぁと感じています。裏書はないですが。。。
また現代人は“ヒトは地球上の食物連鎖に頂点に位置している”と無意識に思っているかと思うのですが、一般的には
・・・この連鎖において、一般に、下位のものほど個体が小さく、その個体数が多い傾向があり、連鎖の順に個体数を棒グラフ表示すれば、上にゆくほど小さくなり・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/食物連鎖
と言われているわけです。
ではその現実は如何なのでしょうか?今の日本の人口分布と同じくトップヘビーなピラミッドになっているのではないかと思います。
一方 『地球はエネルギー的には開いた系とみなせる』という側面もあります。
おそらく 今までの人類の“モノ を エネルギーに変換する活動”(人以外は モノ を エネルギーに変換する術を持っていないのではないでしょうか?)は そのエネルギー的に開放系であることの容量内で機能していたのではないかと思うのですが、どうもそのバランス点を越える(た)感があるかなぁ。と。・・・つまり 公害 がその表れなのでしょうが。・・・
先の 物質的な閉じた系 を補う意味で “モノ を エネルギーに変換する活動” が有効に働いていたのでしょうが、そろそろその視点を変えなくてはいけないタイミングであることを、今年の後半の出来事は教えてくれているのかもしれないと感じています。
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