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生老病死と自由

 床に入ってふっと 『“生老病死”は(生きているものには)自由にできない』 と思いました。

 “生”に関しては、自分の意思で生まれてきたわけではない と思えるわけですが、病気は日頃の心がけで避けることができると勝手に思っているわけです。しかし、実は「病気」も 自分の自由にはできないと思ったのです。次の瞬間 病気になるものはなる。寧ろ見方によっては日頃から病気にならないように努めていた方が傷が深いのではないのでしょうか?(健康に気を使うことは大切なことですが)

『なぜ健康に気を使うのか?』そのことにこそ目をむけ、しっかりと見極めなくてはいけないことなのかと感じます。そこをしっかりと認識していれば、たとえ病気にあっても先の様な傷は負わないかもしれないかと思います。寧ろ視点が変わって次のステージに進めるのかもしれません。

“老い”は 時間が経過することと同義であれば「しようがない」と諦めています。(五木寛之流に言えば明らかに極めています。)よりよく老いれればよいのかと。

「“死”は背後から」とある本にありましたが、確かにそう思います。ほぼ大多数の方にとっては。ひょっとしたら死を覚り象が群れを離れるが如くに“死期を覚る”ことはできるかもしれません。しかし 覚ることはできても それに対して抗することはできないとも感じます。ですから、知らずうちに後ろからの方が良いのかもしれません。

 いずれにせよ 『“生老病死”は(生きているものには)自由にできない』 という感覚は 常識で言う 諦め と言う意味・感覚ではなく “明らかに極める”と言う意味で実感する必要はあるのかと思うのです。

 NHKの番組ではないですが 生老病死は一人称のその人にとってその時 なのでしょうから。 

 

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