今は『天は二物を与える』なのか!?
子供の頃は勉強か運動かの2者選択だった様な世界だったと思います。『天は二物を与えず』とかよく耳にしていたような。。。・・・「良いところばかり、悪いところばかりの人間はいない」と言う意味の方が合っているようですが。・・・・
さて最近感じるのですが、昔の様な意味での『天は二物を与えず』は少なくなってきたような感じがします。寧ろ『天は二物を与える』になったのかなぁ。。。と思えるほど。
そこにこれからの世界のヒントが隠されているのかなぁと。
そんな思いで スポーツ界を眺めると 感じ方が違ってきます。
例えば ゴルフの石川遼選手 飛ばすために物理の勉強を取り入れたり (遼「飛ばし」を科学、理数系勉強する - 石川遼特集 : nikkansports.com
http://www.nikkansports.com/sports/golf/ishikawa/news/p-sp-tp1-20100326-610193.html )
野球のダルビッシュ選手 (新・変化球が生まれないワケ。|ダルビッシュ有オフィシャルブログ「Thoughts of Yu」Powered by Ameba
http://ameblo.jp/darvish-yu-blog/entry-10418298556.html )
プレーヤーではないが猪瀬直樹氏のサッカーに対する視点(日本サッカーと欧州の違いは言語技術の差 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100531/228806/?P=1 )
などなど。。。
スポーツはそもそも自らの体とその周囲の構造物や相対する人なども含まれる環境との適合によって生み出される芸術とすれば、そもそも子供の頃耳にした『天は二物を与えず』はおかしかったとするのが自然かなと思うのです。
本来の「良いところばかり、悪いところばかりの人間はいない」と言う意味の『天は二物を与えず』が望むべき方向かと。
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